年譜 高木仁三郎が歩いた道

『原子力資料情報室通信』317号(2000/10/30)にもとづく

1938 7月18日、群馬県前橋市に開業医の子として生まれる。
1957 群馬県立前橋高等学校を卒業し東京大学理科一類に入学。
1961 東京大学理学部化学科を卒業(核化学)。日本原子力事業(NAIG)に入社しNAIG総合研究所核化学研究室に勤務。
1962 G. Seaborg "The Transuranium Elements"(1958)を神田の古書店で購入。
1965 7月、東京大学原子核研究所助手となり宇宙核化学を研究。朝日学術奨励金を得たプロジェクトでアルミニウム26の検出に従事。
1969 論文「宇宙線ミュー中間子と地球物質との反応生成物の研究」で理学博士号取得(東京大学)。7月、東京都立大学助教授に就任(理学部化学教室)。このころ同人誌『ぷろじぇ』に参加。三里塚闘争にかかわり始める。
1972 5月から独ハイデルベルクのマックス・プランク核物理研究所客員研究員(73年5月まで)。
1973 8月末をもって東京都立大学を退職。主に翻訳で生計を立てつつ雑誌原稿などを執筆。
1974 プルトニウム問題を考える自主グループ「プルトニウム研究会」を組織。
1975 「プルトニウム毒性の考察」(岩波書店『科学』5月号)。8月、京都で「反原発全国集会」。9月、原子力資料情報室が設立され(武谷三男代表)、専従世話人となる。
1976 内部告発による美浜原発1号の燃料棒折損事故を追及。◇プルートーンの火(社会思想社教養文庫)
1978 反原発運動全国連絡会『反原発新聞』創刊。編集長を務める(88年まで)。
1979 3月28日、米スリーマイル島原発事故。◇『科学は変わる』東経選書[社会思想社教養文庫1987]
1980 ◇スリーマイル島原発事故の衝撃[編著](社会思想社)
1981 ◇プルトニウムの恐怖(岩波新書)/危機の科学(朝日選書)
1982 ◇元素の小事典(岩波ジュニア新書)[新版1999]/わが内なるエコロジー(農山漁村文化協会人間選書)
1983 ◇核時代を生きる(講談社現代新書)
1984 ◇核に滅ぶか?[前田哲男との対談]径書房
1985 9月、日比谷公会堂での「三里塚・東峰裁判完全勝利をめざす集会」実行委員長。◇単位の小事典(岩波ジュニア新書)[新版1995]/いま自然をどうみるか(白水社)[増補新版1998]
1986 4月26日、チェルノブイリ原発事故。秋、ヨーロッパを訪問。◇チェルノブイリ―最後の警告(七つ森書館)/森と里の思想[前田俊彦との対談](七つ森書館)/原発事故――日本では?(岩波ブックレット)
1987 1月、原子力問題の講師養成のため「反原発出前のお店」開講。5月、原子力資料情報室の代表に就任。◇われらチェルノブイリの虜囚[水戸巌らと共著](三一新書)/科学の「世紀末」[関曠野との対談](平凡社)/あきらめから希望へ[花崎皋平との対談](七つ森書館)
1988 4月24日の反原発運動全国集会(原発止めよう2万人行動・日比谷公園)事務局長。脱原発法制定運動を提起。
1989 ◇巨大事故の時代(弘文堂)
1990 ◇食卓にあがった死の灰[渡辺美紀子と共著](現代新書)
1991 原子力資料情報室とグリーンピース・インターナショナル共催「国際プルトニウム会議」(大宮市)。◇下北半島六ケ所村・核燃料サイクル施設批判(七つ森書館)/核の世紀末―来るべき世界への想像力(人間選書)
1992 多田謡子反権力人権賞を受賞。◇マリー・キュリーが考えたこと(岩波ジュニア新書)
1993 1月、「日本の脱プルトニウムへ向けた希求と、日本政府のプルトニウム政策転換を求める強い意志を表わすため」(「脱プルトニウム宣言」)科学技術庁前でハンスト。9月、原子力資料情報室がシンポジウム「今、なぜプルトニウムか」を開催(日本原子力産業会議と共催)。『マリー・キュリーが考えたこと』でサンケイ児童出版文化賞を受賞。◇反原発、出前します!―高木仁三郎講義録(七つ森書館)
1994 ◇プルトニウムの未来―2041年からのメッセージ(岩波新書)
1995 11月、国際MOX燃料評価(IMA)プロジェクトを開始。研究代表を務める。イーハトーブ賞を受賞。◇宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー(社会思想社)
1996 ◇もんじゅ事故の行きつく先は?(岩波ブックレット)
1997 11月、IMA最終報告書"Comprehensive Social Impact Assessment of MOX Use in Light Water Reactors"(MOX燃料の軽水炉利用の社会的影響に関する包括的評価)を発表。12月3日、長崎被爆者手帳友の会平和賞を受賞。12月8日、スウェーデンでライト・ライブリフッド賞を受賞。
1998 1月、「オルターナティブな科学者を育てる」高木学校の呼びかけ。7月、大腸ガンが発覚。8月末日をもって原子力資料情報室代表を退任。9月、科学者の声明「科学技術の非武装化を」(岩波書店『世界』9月号)に参加。12月、高木学校Bコース第1回連続講座「化学物質と生活」で「プルトニウムと市民」を講演。◇このままだと「20年後のエネルギー」はこうなる(カタログハウス)
1999 2月6日、NHK教育TV「未来潮流:科学を人間の手に−高木仁三郎・闘病からのメッセージ」。声明「成田空港の滑走路暫定案を白紙に戻すよう訴えます」(8月発表)を起草。9月7日、原子力資料情報室が特定非営利活動法人の認証を受ける。9月30日、茨城県東海村のジェー・シー・オー東海事業所で臨界事故。『恐怖の臨界事故』を口述。9月から、高木学校Bコース第2回連続講座「エネルギーと生活」。◇市民の科学をめざして(朝日選書)/市民科学者として生きる(岩波新書)/恐怖の臨界事故(岩波ブックレット)
2000 4月28日、青森地裁での核燃料サイクル施設許可取消訴訟で証言。7月2日、第9回田尻賞を受賞。7月発表の地層処分問題研究グループ報告書『「高レベル廃棄物地層処分の技術的信頼性」批判』に論文「現在の計画では地層処分は成立しない」を執筆。10月8日午前0時55分、東京都中央区の聖路加国際病院で死去。◇"The Criticality Accident at Tokai-mura−1mg of uranium that shattered Japan's nuclear myth," J.Takagi and CNIC(CNIC)/原子力神話からの解放―日本を滅ぼす九つの呪縛(光文社カッパブックス)/証言―核燃料サイクル施設の未来は(七つ森書館)/鳥たちの舞うとき(工作舎)/原発事故はなぜくりかえすのか(岩波新書)

参考:
高木仁三郎『市民科学者として生きる』岩波新書(1999)
原子力資料情報室『脱原発の20年』原子力資料情報室(1995)

 

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