臨界事故調査の杜撰さ鮮明に
安全委と評価会議が公開討論
『原子力資料情報室通信』322号より
JCO臨界事故総合評価会議が原子力安全委員会と公開の場で相対して討論を行なった。2月24日に横浜市の神奈川中小企業センターで開かれた第2回「地方原子力安全委員会」の第1部「ウラン加工工場臨界事故調査委員会報告から1年を経た総括」でのことである。パネリストとして討論の席についたのは松浦委員長以下5人の安全委員全員と、古川代表を含む評価会議委員5人であった。安全委が設置したウラン加工工場臨界事故調査委員会委員など安全委側の関係者、およびパネリスト以外の評価会議委員も客席の最前列に着席した。 当室と原水禁を事務局として99年12月に発足した評価会議は、昨年9月に最終報告書『JCO臨界事故と日本の原子力行政』(七つ森書館)を発表し、安全委に公開討論会の開催を要求。安全委はそれを拒否したが、臨界事故後に安全委がはじめた「地方原子力安全委員会」(第1回は昨年8月11日に東海村で開催)のなかで討論の場を設け、評価会議はそれに参加することとしたものである。
■パネリスト
安全委員会
松浦祥次郎(委員長)
青木芳朗(委員長代理)
松原純子
金川昭
須田信英
評価会議
古川路明(代表)
伊東良徳
海渡雄一
上澤千尋
白鳥紀一
根拠が弱くても支障なし?
評価会議は臨界事故が起きた原因と責任に焦点を絞ることを事前に伝えて討論に臨んだが、健康管理検討委員会や原子力学会などからの報告、および第2部「新たな防災対策体制について」が入れられたこともあり、討論の時間はかなり不十分であった。しかしその中でも公衆の面前で鮮明になったのは、「臨界事故の原因を、幅広い見地から徹底的に究明し、万全の再発防止策の確立に資する」(安全委「『ウラン加工工場臨界事故調査委員会』の設置について」1999年10月7日)ことを掲げたはずの事故調の作業が、お世辞にも徹底的かつ万全とはいえないものだったということである。
討論に先立って古川代表がこの事故の重大さと、評価会議が事故調とは独立に批判的視点から作業したことを述べたあと、伊東委員がまず事故調の調査姿勢として、間接情報を鵜呑みにし、異なる内容の証拠を黙殺していることを問題とした。沈殿槽に投入される予定だったウラン量を当時の科学技術庁の報告に基づいて16.6kgとしていること、沈殿槽を用いた動機を作業員(横川氏)からの聴取にもとづいて「時間の節約」などとしていること、および過去の「常陽」用燃料製造において第6次製造までは貯塔を用いていないとしていることである(評価会議報告書第3章)。しかし金川委員は「科技庁の資料で判断し、他の資料との相違は大きな問題でないと考えた。投入量が16.6kgより少なかったとして、それが事故調の報告書の結論にどのような影響を与えるのかを、聞かせてほしい」と述べた。第6次製造以前での貯塔使用の有無についても同様に須田委員が「第6次が貯塔かどうかも、事故原因究明に大きな影響があったとは思わない」と述べた。つまり「報告書に大きな支障がない」という消極的理由のみであり、積極的根拠はないのである。沈殿槽を利用した真の動機の問題については回答されなかった。
次に古川代表が、事故に関する情報を得るうえで本質的な証拠であるウラン溶液を早々と再処理してしまったこと、希ガスやヨウ素など放出された気体放射能の分析を厳密に行なわなかったことを問題にした(評価会議報告書第1章)。しかし金川委員は「放出放射能の量がどの程度重要なのか。ガンマ核種以外にベータ核種も測定すべきだったというがその理由が理解できないので、なぜ重要なのか説明してほしい。どのくらいの誤差を生ずるのか」と逆に尋ねる始末だった。臨界反応のバースト部とプラトー部それぞれにおける核分裂数の比率の推定が大きく変わった問題に関しては時間の都合で議論は深められなかった。
ついで海渡委員が、JCOに高濃度の硝酸ウラニル溶液を発注した当の核燃料サイクル開発機構から、相澤清人・河田東海夫両氏が事故調に入ったことの問題を指摘。松浦委員長は「組織を背負ってではなく個人の専門性による」と述べた。しかし現に事故調第8回会合でJCOから、核燃機構の無理な要求が事故の背景だったとする資料が出たとたん、次の会合で相澤委員は核燃機構の責任を打ち消し、資料を修正させたのではなかったか。松浦委員長は「(公平性は)重要な点なので今後は考慮したい」とも述べた。
「年内に報告書」が至上命題
なお須田委員は事故調委員を務め、その後昨年4月に安全委に入った人であるが、ウラン投入量に関する議論の際、「(事故調では)時間も限られていたので、全体の流れに影響を及ぼすかという重要度から、ウラン量は決定的に影響しないと考えた」と述べた。その「時間が限られていた」のはなぜかと司会の鳥井弘之氏(日本経済新聞論説委員)が確認すると須田委員は、「何が何でもあの年の12月の20日過ぎまでには報告書を完成しろということでございまして、それが至上命題となっていた」と発言。隣の金川委員が慌てて「私はまったくそういう感じをもっておりません」と打ち消そうとした。しかし実際に事故調委員だった須田委員自身が「ここで喧嘩をしても仕方ありませんが」と断りつつ、「私だけではなく、事故調メンバーは誰かに言われて、なんとなくそういう雰囲気を感じて、年内にまとめるというプレッシャーのもとに動いていた」というのだから否定しようもない。発言を求められた東邦夫・事故調委員長代理は「調査期間を伸ばすことによって効果があったのか。提案を早く出そうとした。ホットなうちに手を打とうとしたもので、悪いとは思わない」と述べ、他の機関の調査によるフォローを待ったのだとすら語った。
この点はのちの会場質疑でも問題となり、山口幸夫・情報室共同代表が安全委員全員の見解を求めた。松浦委員長は「事故が二度と起こらないように対策を示すため、裏づけは弱くても考えられる限りの対応を示そうとした。6か月を3か月にしてでも、早く答えを出すことが必要だった。事故調査報告書というよりも事故の対策を示したものと理解するのがいいのではないか」と述べた。原因や責任の所在を明らかにしないまま、どこに対策を施すというのだろうか。次の松原委員は急いだ理由には答えず、なぜか民主主義とリーダーシップを論じた。青木委員は委員長と同様で「対策を早く示すという意味では急いだが報告書としては充分である」。金川委員だけは「まったく急いでいないしこの報告書で充分説明できる」と譲らなかったが、須田委員はあくまで「急がされたのは事実」とした。
安全審査の限界を自ら主張
事故調と核燃機構の問題に続いて海渡委員は、JCO転換試験棟の安全審査を行なった核燃料安全専門審査会第8部会において、沈殿槽だけが形状管理を適用されず質量管理となっていることが放置されたのも事故原因であること、そして安全委の責任に関わるその点が事故調報告書では究明されていないことを問題提起した(評価会議報告書第4章)。まず金川委員が「安全審査は申請された内容を審査するもの」と一般論を述べたあと、須田委員は「JCOからの申請に再溶解は出ていないので審査できない」と勇み足。しかし再溶解は審査途中で図面に手書きで出現し、充分に審査されなかったのである。ついで金川委員いわく「沈殿槽を再溶解に使うことまで想定しなければならないのか」「JCOで認可されているウラン濃度50%までを想定して形状管理すれば実用にならない」。これでは受身の審査姿勢しか見えてこない。
なお事故調が当時の第8部会委員を直接調査していないことについて須田委員が「事故調は行政庁を通じて調査するので、直接に当事者の責任を問う査問委員会ではない」と逃げ、司会の鳥井氏にその根拠を問われて詰まる場面も見られた。また今後、第8部会のような部会の議事公開と詳しい議事録作成などを海渡委員が要求した。
次は古川代表が住友金属鉱山の施設と一体化している転換試験棟の施設としての不適格性を問うた。金川委員の反応はまたしても「質問の意味が分からない」「事故の実態にどういう影響があるのか」「そのような微細な部分までは安全審査では見ていない」であった。
ここで会場質疑が入れられ、評価会議の末田一秀委員が、事故当時は安全委員長代理だった住田健二氏の著書『原子力とどうつきあうか−JCO臨界事故体験』(筑摩書房)で「本質的には、工場の敷地や作業場所を選択する時から、敷地外の退避が必要にならないよう設計すべきものだと思う。……[作業は]禁止されてしかるべきだった」と記されている(133頁)ことを引用し「そもそもあの場所での作業を許可してよかったのか」と問題提起。松浦委員長は「安全審査は申請された内容を審査するのだから許可することもあり得る。ただ今後の審査ではどこまで申請内容から逸脱するかも考えねばならない」と答えた。
事故調の作業期間の問題に関する質疑(前記)のあと、評価会議の白鳥委員が「責められるべきは作業者の逸脱行為である」とした「結言にかえて」に象徴される事故調報告書の枠組の歪みを論じた。事故は文化論で片付けられるものではなく規制の失敗であり、報告書はそこから逃げているとの指摘だが、この討論にあらわれた安全委の姿勢自体が再度それを証明しているようであった。最後に上澤委員が被曝線量評価の根拠となるデータについて追及した。周辺線量データに関する近似式の導き方の問題や事故調で検討されていない測定データのあること、ICRP90年勧告の反映の有無などである。しかし時間の関係で白鳥委員の問題提起に関する回答は得られず、上澤委員の質問への説明も深められないまま討論時間の終わりを迎えた。
羊頭狗肉の「改革」
この会は「これからの検討内容を洗い出す」ことも目的であるとのことだった。実際、司会の鳥井氏も、「安全委員会にとって考えなくてはならないことがたくさん指摘された」と述べて討論を締めくくり、松浦委員長もそれに頷いていたように、課題はいろいろと洗い出されたはずである。しかし「第2回地方原子力安全委員会の結果について」を議題とした3月5日の安全委員会会合では、委員たちからの発言は全くなく、事務局からの簡単な開催結果報告のみで終わってしまった。これでは何のための討論だったか姿勢が疑われる。
前述のとおり今回は対等な形での開催(共催)でなく、あくまで安全委のなかでの場であった。このような場に参加することは軽率にはできず、幕引きに利用されるという懸念があった。参加を決めてからもいかに実質を得るか腐心した。しかし上記のような問題点を公開の場で明らかにした点での意味はあったと考えている。一方で未回答の事柄も多く残された。討論では全く答えられなかったか、曖昧なままに残された事柄を評価会議は整理して安全委に提出し、回答を求める予定である。
(原子力資料情報室 藤野聡)
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