コラム「風車」2009年8月

「風車」2009年8月号

原子力委員会のホームページに、近藤駿介委員長の講演内容が掲載されている。驚いたことに、5月27日の原子力総合シンポジウムでいわく「米国の核の傘に入ることを明確にすることによって、核兵器国以外で濃縮・再処理を事業として行えている唯一の国にたどり着いている我が国」。

原子力基本法が「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り」と定めたのは1955年のことで、むろん核兵器の否定から生まれた規定だ。その基本法に基づいて、「平和利用の番人」たる原子力委員会は設置された。当時ありもしなかった核の傘に入ることで初めて日本が核を持たないと認められたかに言うのは、委員会の自殺的行為ではないか。

もっとも、たとえば六ヶ所再処理工場が「平和の目的以外に利用されるおそれがないこと」を審査した委員会の結論は、事業者が「厳に平和利用に限り再処理事業を行うとしている」から軍事転用のおそれはないとした行政庁の一次審査を「妥当なものと認める」だけなのだから、日本が核を持たない保証には、とてもならないのは確かだろう。とはいえ、そこで核の傘をもち出すのは、破れ傘だろうとなかろうと、筋違いだ。

ひっきょう原子力の平和利用などというものはありえない。近藤発言は、改めてそれを教えてくれたといえそうだ。