原爆症認定集団訴訟と「原因確率」の誤用―「市民の科学」としての疫学をめざして―

『原子力資料情報室通信』第432号(2010/6/1)より

原爆症認定集団訴訟と「原因確率」の誤用
―「市民の科学」としての疫学をめざして―

東北大学教授 坪野吉孝

 筆者はがんの疫学を専門にする研究者で、これまで主に、食事などの生活習慣とがん発生との関係や、がん検診の有効性の評価について研究を行なってきた。放射線の疫学には取り組んでこなかったが、原爆症認定をめぐる集団訴訟をきっかけに、この問題に発言するようになった。
 その理由は二つある。第一は、後に述べる「曝露群の寄与危険度割合」を「原因確率」と等しいものとみなすという、疫学の世界では誤りとして批判されてきた考え方が、原爆症の認定基準に使われてきたためである。第二は、終戦後に広島や長崎に駐留するなどした後にがんに罹患した米国退役軍人の障害補償では、「原因確率」を用いない認定制度が主に採用されており、同様の制度を日本でも代替策として導入すべきことを伝える必要を感じたためである。以下、これらの二点について説明する。

厚生労働省の旧認定基準における「原因確率」の誤用

 第一の、「曝露群の寄与危険度割合」を「原因確率」と等値する誤りについて、若干単純化して説明する。「原因確率」の考えは、2001年に厚生労働省が改訂した原爆症の認定基準で取り入れられた(www.mhlw.go.jp/shingi/2007/09/dl/s0928-9g.pdf )。
 各種のがんと副甲状腺機能亢進症について、性別、被爆時年齢、被曝線量の三つの変数から、「疾病等の発生が、原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率」(=厚生労働省のいう「原因確率」)を求め、おおむね50%以上の場合には認定、50%未満10%以上の場合は個別判断、おおむね10%未満の場合には認定しないという基準である。
 例えば男性の白血病の場合、被爆時年齢(0~30歳まで31段階)と被曝線量(2~100センチグレイまで12段階)に合わせて372個の「原因確率」の数値が小数点1桁(23.7%など)でずらりと並ぶ。こうした表が、個別の疾病ごと、性別ごとに14枚並ぶ。一見いかにも「科学的」に見える。
 しかし、ここで「原因確率」として表示されているのは、実際には「曝露群の寄与危険度割合」である。図(次頁)の仮想例で説明すると、原爆放射線や喫煙などの危険因子に曝露しなかった「非曝露群」1000人を10年間追跡したところ、40例の胃がんが発症したとする。
 一方、これらの危険因子に曝露した「曝露群」1000人を10年間追跡したところ、50例の胃がんが発症したとする。非曝露群と比較すると、曝露群の発症50例のうち40例は、危険因子への曝露がなかったとしても発症したと考えられる。そのため、曝露群の発症50例のうち、危険因子の曝露によって超過で発症したのは50-40=10例で、10/50=20%が「曝露群の寄与危険度割合」となる。
 「曝露群の寄与危険度割合」は、被爆者の追跡調査などのデータを使って、実証的に推計することができる。曝露の程度ごとに推計することもできる。
 ところで、曝露群で発症した残りの40例は、危険因子に曝露しなくても発症したのだから、危険因子が発症の原因にはならなかったように見える。しかし例えば、原爆放射線に被曝しなければ(放射線が関与しないメカニズムを通して)60歳で発症していたはずだったのに、原爆放射線に被曝したことによって(放射線が関与するメカニズムを通して)発症が50歳に早まったとしたらどうか。この場合、この人の発症に対しても、原爆放射線が原因として影響を及ぼしたと考えられる。
 いま仮に、曝露群で発症した残りの40例のうち20例がこうした形で発症していたとすれば、曝露群の発症50例のうち原爆放射線が原因として影響したのは、超過発症分の10例とこの20例を合わせて30例、その割合(=真の意味の原因確率)は(10+20)/50=60%となり、上記の「曝露群の寄与危険度割合」の20%よりずっと大きくなる。しかし、曝露群の超過発症例10例を除く40例のうち何例が、こうした形で原爆放射線の影響を受けたかを、被爆者の追跡調査などのデータを使って実証的に推計することはできない。つまり、真の原因確率を、実証的なデータから推計することは通常できない。

教科書にも出ている基本事項

 米国の疫学の泰斗(たいと)であるUCLAのGreenland教授は、「曝露群の寄与危険度割合」を原因確率の値として使用することの誤りを、1980年代から指摘していた。教授が編者の一人を務め、今日もっとも権威あると目されている疫学の教科書では、「曝露群の寄与危険度割合」が0%(曝露群と非曝露群の発生率に差がない)の場合でも、真の意味での原因確率が100%になることも論理的に可能と述べている。その上で、「曝露群の寄与危険度割合」を「原因確率」として用いることで、真の原因確率が「任意に大きな度合いで過小評価」される可能性があると指摘している(Rothman K.J., Greenland S, Lash T.L., eds. Modern Epidemiology, Third Edition, Lippincott, Williams & Wilkins, 2008, p.297)。
 なお米国の裁判では、「曝露群の寄与危険度割合」が50%以上の場合に、危険因子と個人の疾病発症との因果関係を認定するという(原因確率の誤解に基づく)判例が定着している。Greenland教授がこの問題に取り組むきっかけになったのは、がんなどの疾病を患った核施設の近傍住民が裁判に訴えても、この判例が壁となって、施設からの放射線被曝と疾病の発症との因果関係を否定されてしまうため、原告患者から相談を受けたことだったという。
 以上のように、「曝露群の寄与危険度割合」を「原因確率」と等値するのが誤りであることは、権威ある疫学の教科書にも記載された基本事項である。にもかかわらず、厚生労働省による原爆症の認定基準は、この誤りを踏襲していた。
 こうした理論的批判に加えて、「原因確率」に基づく認定基準の実践的な非現実性を、原爆症認定集団訴訟を支援する郷地秀夫医師は、次のように批判している。すなわち、男性の胃がんの場合、「原因確率」が50%を超えるのは、被爆時年齢が6歳以下で「爆心地から800mの遮蔽のない屋外にいて、風速200mの爆風に耐え、1200度を超える熱線の中を生き残った人」で、その後胃がんに罹患した人ということになるという(郷地秀夫、『原爆症-罪なき人の灯を継いで』、かもがわ出版、2007、p.62)。

米国の退役軍人に対する障害補償制度

 続いて第二の、米国の退役軍人を対象とする障害補償制度では、「原因確率」を使わない認定が主体であることについて説明する。
 米国退役軍人局は、終戦直後の広島と長崎に駐留した兵と、米軍が戦中戦後に実施した核実験に参加した兵などを対象に、二種類の障害補償認定制度を設けている(Committee to Review the Dose Reconstruction Program of the Defense Threat Reduction Agency, National Research Council. A review of the dose reconstruction program of the Defense Threat Reduction Agency. National Academy Press, 2003, pp.51-64.)。
 第一の制度では、放射線が発症に関連する、甲状腺がん・白血病の大半・胃がんなど21種類のがんを、一種の「原因疾患」(推定軍務関連疾患)としてあらかじめ指定している。広島と長崎に駐留した退役軍人等がこれらのがんに罹り補償の申請をした場合、駐留の事実が確認されれば、被爆と疾患との関連が自動的に認定される。当時の放射線被曝の状況を個別に調査し、被曝放射線量や「原因確率」を推定するような手順は踏まない。制度発足当初の1988年、「原因疾患」に指定されたのは13種類のがんだけだった。その後三度の改訂が行なわれ、8種類のがんが追加されている。
 第二の制度では、21種以外のがん・一部の白内障・良性結節性甲状腺腫などの5疾患、およびその他の疾患が対象となる。これらの疾患に罹った退役軍人が申請した場合、当時の被爆の状況を個別に調査して被曝放射線量を推定し、疾患との因果関係を審査する。がんについては、被曝線量に対応する「原因確率」(上記の「曝露群の寄与危険度割合」)が基準値(50%)を超える場合に、被曝との関連が認定される。どちらの制度でも認定が通ると、十段階に区分された障害の軽重に応じた金額の補償手当が支給される。

認定基準の改正の動き

 原爆症認定を求めて全国で集団訴訟を起こす被爆者の声に押されて、2007年8月、当時の安倍首相は、平和記念式典出席のために訪れた広島で、原爆症の認定基準の見直しを検討する意向を表明した。筆者は、米国の退役軍人の補償制度を紹介しながら、日本でも同様の制度の導入を検討すべきという意見を投稿した(2007年8月24日朝日新聞「私の視点」)。
 また、9月から12月にかけて開催された「原爆症認定の在り方に関する検討会」では、米国の制度における「原因確率」の誤差の取り扱いについては詳細な議論をしているにもかかわらず、米国の制度の主体である「原因確率」を用いない認定についてはきちんと議論しないことを批判した意見書を、11月21日同検討会に提出した。
 12月17日に公表された検討会の報告では、従来の「原因確率」の誤用を踏襲しながら、この「原因確率」が50%を超える場合には審査を省略し迅速に認定する、認定疾病に心筋梗塞を追加するなどのわずかな改訂に留まった(www.mhlw.go.jp/shingi/2007/12/dl/s1217-7a.pdf )。
 この報告書に激しい怒りを表明した被爆者団体は、報告書の破棄と認定基準の再検討を国に求めた。それを受けて2008年3月17日に示された「新しい審査の方針」では、認定審査会の内部では原因確率を用いない(申請者を審査会の対象にするか、審査会を経ずに迅速に認定するかを判断する段階では依然として用いる)という形で「原因確率を改め」、一定の条件を満たす被爆者が特定の疾患(悪性腫瘍・白血病・副甲状腺機能亢進症・放射線白内障・放射線起因性が認められる心筋梗塞)に罹患した場合には、「放射線との関係を積極的に認定するものとする」という方針に改められた( www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/genbaku09/08a.html )。
 その後2009年12月には、集団訴訟で敗訴した原告を基金で救済する原爆症救済法が成立するなど新たな展開があるが、詳細は省略する。

おわりに

 原爆症認定の集団訴訟を通じて、認定審査会における「原因確率」の誤用が一部改められ、がんなどの疾患が積極認定の対象となり、その中に心筋梗塞も追加された経緯を紹介した。現在、原発で働かれた方に発症した心筋梗塞を労災に認定するか否かが問題となっている。おなじ放射線による健康障害でありながら、原爆症では認定の対象疾患として指定され、原発労災では指定されていない現状は矛盾している。科学は一つである以上、その適用も公正であるべきだ。
 最後になるが、筆者は約30年前の学生時代から高木仁三郎氏の著作に接してきた。とりわけ晩年の『市民科学者として生きる』(岩波新書)からは大きな影響を受けた。氏が重要な貢献をされた原子力資料情報室の通信に寄稿する機会を与えて下さったことに感謝申し上げる。これを機会に、筆者の専門である疫学を、「市民の科学」として活かしていきたいと願っている。ご助力を頂ければ大変幸いである。



曝露群(原爆被爆群など)1000人と非曝露群(原爆非被爆群など)1000人を10年間追跡した場合の仮想例。曝露による超過発症例(10人)は、曝露がなければ発生しなかったので、曝露が原因として作用したと考えられる。この場合、「曝露群の寄与危険度割合」は、10/50 = 20%となる。一方、曝露群の発症例(50人)から、曝露による超過発症例(10人)を引いた残りの発症例(40人)の中にも、曝露によって発症年齢が早まった例が存在すると考えられる(本文参照)。これらの発症例に対しても、曝露が原因として作用したと考えられる。仮にこの人数が20例とすれば、真の原因確率は、(10+20)/50=60%となり、上記の「曝露群の寄与危険度割合」の20%よりずっと大きくなる。したがって、「曝露群の寄与危険度割合」を原因確率と等値するのは誤りである。「曝露群の寄与危険度割合」は、一般に、真の原因確率を過小評価する傾向がある。


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(編集担当:渡辺美紀子)

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