あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます
2010年がみなさまにとって良い年でありますように

旧年の大きな出来事はなんといっても民主党政権が発足したことだと思います。大変革が静かに行われたといえましょう。自由民主党は1955年の結党以来、93年に一時野党に転落したことはありましたが、それでも衆議院では第一党を守り続けていました。昨年の選挙ではその座も失ったからです。

新政権が試される2010年です。「コンクリートから人間を大切にする」政策への転換は、それまでの生産を中心とした供給側の政策から生活を中心とした需要側の政策への転換と言い換えることができると思います。しかしながら、この転換はそれほど容易に出来るとも思われません。変革の端緒についたといったところだと思います。それを思うと、私たちNGOが「あきらめから希望へ」つなげていく役割を果たし、いっそう努力していくことが重要ではないでしょうか。

コンクリートの塊のような原子力発電、これまで供給側の利益を中心に建設が推し進められてきましたし、政権交代の後も残念ながら、この政策がすぐには変わる気配はありません。使用期間を30年として設計した原発を40年50年と運転し続けることの危険は言うまでもありません。「想定外」の地震が多発する時代にあって、既設原発の運転継続のための活断層過小評価や機器の安全余裕を頼みにした「健全性」評価にはいよいよ寒さを感じずにはいられません。そんな中、新政権のマニフェストに掲げられた推進行政と規制行政の分離はぜひとも進めていかなければならないことでしょう。2010年を展望したときの最大の政策的課題だと言えます。

原子力産業界は「原子力ルネッサンス」を掲げて活発な宣伝活動を行っていますが、その実態をみてみると「空騒ぎ」だということが分かります。ヨーロッパではわずか2基の建設がその中身です。その一つ、フィンランドでは建設工期が大幅に延びて訴訟問題に発展しています。スウェーデンが脱原発政策を転換したといわれます。ところが、原子力に対する補助などの優遇策は一切なく、具体的な建設計画に進んでいない事実は日本ではなかなか報道されません。ブッシュ政権時代に政府の補助政策に押されて比較的多くの建設計画が出たアメリカでもオバマ政権に交代した後、計画は大きく後退しています。

「原子力に国民的合意が得られていない」と福井・福島・新潟の3県知事が当時の橋本龍太郎総理大臣にモノ申したのが1996年のこと、以来、いまだ「合意」なき原子力推進が交付金だのみで続けられているのが日本の現状です。とはいえ、原発建設の強硬な動きに対しては、上関原発計画にみられるように、激しい反対の動きが出ているのも現実です。

私たちはいまだ温暖化防止策のリストから原子力を外させることができていませんが、しかし、原子力は対策としてはコストが高く、かつ、間に合わない!と多くの人が指摘しています。近い将来には省エネや再生可能エネルギーが本流となっていくと考えられます。新しい年にこの流れがはっきりと定着できることを願っています。

前代表の高木仁三郎は1997年のライトライブリフッド賞に輝き、受賞講演でプルトニウムの最終章を書きたいと述べました。プルトニウムはグレン・シーボルクによって1940年の暮れに初めて世に作り出されました。この70年の間に世界はプルトニウムを利用する発電炉から撤退していきました。日本では事故で14年の停止を余儀なくされた原型炉「もんじゅ」が運転再開を予定しています。「一周遅れのトップ」と言われる日本の高速増殖炉開発ですが、日本だけが例外的に成功するとも思えません。六ヶ所再処理に見られる日本の技術レベルを見れば、これは明らかなことと言えます。

原子力資料情報室は設立から35年が経過しました。高木前代表が没してから10年になります。何とか続けてこられたのは、会員の皆さん、通信やメルマガの読者の皆さんの支えがあったからと感謝しております。とはいえ、当室の経営は大変厳しい状態が続いています。新しい年も暖かいご支援をよろしくお願いします。と同時にみなさまのご多幸をお祈りします。

2010年元旦
原子力資料情報室共同代表 伴英幸