福島はいま(14)8度目の春をむかえて、3・17福島県民集会 -矛盾にみちた世界を生きる

『原子力資料情報室通信』第526号(2018/4/1)より

福島はいま(14)8度目の春をむかえて、3・17福島県民集会 -矛盾にみちた世界を生きる

さる3月17日、3,300名が参加して「2018 原発のない福島を! 県民大集会」が楢葉町の天神岬スポーツ公園で開かれた。そこは2015年9月まで避難指示区域だったが、全国からも大勢の人たちが集まった。
原発事故がもたらした厳しい現実を全国の人々に知ってもらいたいという想いを込めて、この場所が選ばれたという。会場は交通の便が悪い場所にあるうえに、「復興」に肩入れすることになるのでは、と多くの反対意見があったと聞く。広々とした芝生の会場の空間線量率を測定すると、場所によって違いがあり、しかし、0.09~0.13マイクロシーベルト/時であった。無視できる値ではない。
角田政志実行委員長の挨拶のあと鎌田慧さんが、福島のひとたちの困難に胸ふたぐ、なお原発をすすめようという政府を打倒できない悔しさを訴えた。武藤類子さんは、原発事故後に生きる世界は人権が無視され矛盾に満ちている、いまの私たちが未来を生きることにつながる、誠実に生きたい、と心情を語った。浪江町津島地区の住民だった三瓶(さんぺい)春江さんは、“ふるさとを返せ 津島原発訴訟”の原告だが、4世代10人の家族がばらばらにさせられた苦悩を訴えた。若い世代を代表して、20代目になる高校生平和大使の二人は、核の廃絶を実現させ、着実に平和へ向かって発信していきたいと決意を表明した。

風化させないために

さる2月、教育研究全国集会で福島県の放射線教育の報告を聴いた。小6年生に、放射線の人体への影響の代表として「がん」を取り上げ、死につながるおそれがあることを知ったうえで、「放射線への警戒感が薄れている」児童には、もう少し気にかけるように、「不安に思っている」児童には、過度に心配はしなくともよいという、あい反することを感じてもらいたいという難しい授業の試みだった。
授業前に児童にきくと、「なぜ福島は放射線が多くなったのか分からない」という回答が約6割。「放射線について知りたいことは特にない」が約4割。「放射線への警戒感は、あまり気にしない、全然気にしない」が約8割。震災当時は保育園で5歳だった。記憶はあるだろうが、語り継がれていないのではないか。歴史として、しっかり教えなければならなくなった、という報告であった。

自由に語り合える場を

子どもたちの追加被ばくを防ぎたい、そもそも初期被ばくはどれだけあったのか。いわき市で活動している母親たちの話を聞く機会があった。空間放射線率や土壌の放射能を測る測定器、測定室をもっている母親たちのグループだ。数値を知って、発言し、対策に悩んでいる。あの事故で大量の放射性ヨウ素をふくむプルームがいわき市の上空を通過した。甲状腺がんなどの高いリスクを抱えることになった。だが、それは意外と市民には知られていない。
困るのは、学校も行政も放射能の影響を、上の人たちや「専門家」が大丈夫だと言っているからと、波風立てないようにとする姿勢だ。男たちは社会のなかでことなかれ主義に陥りがちだが、母親として、子どもたちの将来に底知れない不安をおさえきれない。何よりも、自由に悩みを語り合える場が欲しい。納得できないことをとことん、ぶつけあえる場、納得できるまで、分かりやすく解説してくれる専門家が欲しい、と望んでいる。

専門家たちが保証してくれるシステムだから、信用しよう。こういう態度は誤りだった。3・11を経験して痛感する。誰かにまかせていてはいけなかった。私たちの「自由及び権利は国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(憲法12条)のである。この認識がきわめて不十分だったのではなかったか。

(山口幸夫)