被曝の危険性の説明なかった 福島第一原発訴訟で長尾さんが証言

『原子力資料情報室通信』第384号(2006年6月1日発行)より

被曝の危険性の説明なかった
福島第一原発訴訟で長尾さんが証言

 長尾訴訟弁護団・弁護士 氏家義博

はじめに

 長尾光明氏は、1977年から約4年3ヵ月にわたり、福島第一原子力発電所等で配管工事に従事してきましたが、退職後の1998年、多発性骨髄腫の診断を受けました。
 原発における作業期間を通して、長尾氏は実に70ミリシーベルトに上る大量の放射線被曝を受けており(内部告発によって事後的に明らかとなったアルファ核種への被曝を含めれば、被曝線量は更に膨大となります)、この被曝が多発性骨髄腫の原因となったのは明らかでした。そこで、労災認定の申請を行なったところ、2004年1月、富岡労働基準監督署は、長尾氏の多発性骨髄腫が原発における被曝に帰因するものであることを認め、業務上疾病の認定を行ないました。
 2004年10月7日、長尾氏は、東京電力を相手方として、損害賠償の支払いを求める訴訟を提起し、現在も裁判が係属中です。ちょうど10回目の期日にあたる本年4月6日、長尾氏の本人尋問が実施され、裁判も最初の区切りを迎えました。本稿では、これまでの裁判の経緯と共に、尋問当日の様子についてご報告したいと思います。

裁判における争点

 この裁判における最大の争点は、長尾氏が原発において作業に従事したことと、多発性骨髄腫に罹患したこととの間の因果関係の有無です。
 今回は、「原子力損害の賠償に関する法律」という名前の法律を前提に請求を立てており、この法律では原子力事業者の無過失責任が定められています。そこで、東京電力の「故意・過失」等は立証が不必要ですが、同法でも、「原子炉の運転による損害」であること、すなわち、原子炉の運転と損害との間の因果関係は必要とされるので、その立証が原告にとっての大きなハードルとなります。
 ただし、弁護団としては、長尾氏が大量の放射線に被曝したことや、従来から積み重ねられてきた疫学研究の成果に照らして、本件の因果関係は充分に認められるものと考えています。現実問題としても、労災認定の段階で、一度は国によって因果関係の存在が肯定されているのですから、裁判所が今回の事件でそれを否定するというのは、矛盾した話でしょう。

訴訟への東京電力の対応

 事前に予想されたことですが、被告は、因果関係の存在を否定して、全面的に争ってきました。とりわけ、被告は多発性骨髄腫がまだ医学的に充分解明されていない点を強調して、医学的に発症の機序が解明されていない以上、およそ因果関係は認められない、と主張しています。しかし、このような主張は、いたずらに瑣末な医学議論を行なう一方で、疫学研究の立場を完全に無視するものです。被告の主張を前提にすると、医学的に未解明な分野において損害が生じた場合、常に被害者が泣き寝入りすることになるでしょう。
 その他、被告は時効の主張などを行なっています。また、さらには、「長尾氏のかかった病気は、そもそも多発性骨髄腫ではない」という、驚くべき反論も行なってきました。その論旨は、多発性骨髄腫の「典型的な症状」とされるものを都合良くピックアップし、長尾氏の具体的な症状がそれに合致しない、と細かな点を指摘するものです。しかし、仮に多発性骨髄腫ではないとして、それでは長尾氏の症状を説明できる他の合理的な病名があるのか、という点について、被告は何も語っていません。
 以上のような被告の応訴態度は、「反論できそうな所にはとりあえずすべて反論する」という無邪気なものであり、長尾氏が病床から起こした本件裁判の意味を、真摯に受け止めようとする姿勢は、微塵も見られません。
 今後も、被告からは相当量の反論が出ることが予想され、現段階で審理終結の見通しは立っていません。

長尾氏の本人尋問

 このような流れの中、長尾氏の本人尋問が実施されました。本来、本人尋問は、訴訟の最終段階に至って行なわれるものですが、本件では、「長尾さんの体調の良いうちに」との願いから、特に早い段階で実施してもらいました。また、長尾氏の体調を考慮して、尋問は東京から大阪の法廷に出張する形で行なわれました。
 尋問当日の長尾氏は、弁護士も驚くほどの落ち着いた態度で、堂々と質問に答えていました。尋問の中で、東京電力や石川島プラント建設が、放射線被曝のリスクを説明せず、充分な安全教育も行なっていなかったこと、分厚い防護服を着ながら、高温にのぼる劣悪な作業現場で、業務を行なっていたことなどが、次々に明らかになりました。
 被告からの反対尋問は、原発の管理体制に関するものが主でした。そこで引き出された長尾氏の証言の一部を挙げると、原発内では、放射線管理を担当する職員が、放射線検知器をもって原発内を巡回しており、特に放射線量の多い箇所は近づくのを禁止する処置をとっていたとのことです。東京電力は、かような証言をとらえて、「だからきちんと放射線管理を行なっていた」と言いたいのかも知れません。しかし、原発の実態に触れたことのない我々から見ると、長尾氏の証言を聞けば聞くほど、いかに原発が危険な存在か、いかに完全な放射線管理が困難であるかを、かえって思い知らされるようでした。
 今回の生々しい証言により、これを聞いた裁判所にも、原発における作業実態や、闘病を余儀なくされた長尾氏の苦しみなどは、充分に伝わったことと思います。今後は、事件の早期解決に向けて、東京電力側の節度ある訴訟対応を願うばかりです。
 この日、すべての証言を終えると、長尾氏はおもむろに振り返り、傍聴席の支援者に対して深々と頭を下げました。傍聴席からは、期せずして静かな拍手がわき起こりました。法廷では珍しい光景ですが、長尾氏と支援者との強い結びつきを思わせる瞬間でした。