日程変更★5月23日判決 国策企業の本質が露呈した裁判

『原子力資料情報室通信』404号(2008/2/6)より

東京電力を告発する長尾光明さんの原発裁判が結審、
5月23日判決 国策企業の本質が露呈した裁判
★3/28に予定されていましたが変更されました。ご注意ください。

鈴木篤(長尾裁判弁護団・弁護士)

 2004年9月7日、東京電力株式会社を被告とする損害賠償請求の裁判が東京地方裁判所に提訴された。原告となったのは、1977年10月から82年1月にかけて従事した東京電力の原子力発電所での配管工事の際の放射線被曝によって多発性骨髄腫に罹患した長尾光明氏である。
 これより先の04年1月13日、長尾氏は、福島の富岡労働基準監督署によって多発性骨髄腫の罹患は、原子力発電所勤務の際の放射線被曝による業務上の疾病であるとして労災認定を受けている。長尾氏の提訴は、この認定を受けてのものであった。
 このように、労災認定後に企業に対して法定外の補償を求めて提訴される訴訟では、疾病と業務との因果関係はすでに労基署によって認定されていることもあり、主要な争点は、過失(過失相殺の有無と程度)と損害額の2点となるのが通例である。しかも、長尾氏の場合は、原子力損害の賠償に関する法律(いわゆる「原賠法」)によって、原子力事業者に対して無過失責任が定められているため、過失の有無は争点となりえないため訴訟の主要な争点は、事実上損害論に絞られ、長尾氏の救済は早期に実現するものと期待されていた。
 ところが、この予想に反し、被告の東京電力は、以下に述べるようなさまざまな主張を展開して抵抗し、実に3年3ヵ月もの間、訴訟を引き延ばしたのである。判決言渡しは3月28日が予定されているが(判決の予定は延期され、5月23日になりました)、被告のこのような引き延ばしの結果、長尾氏は、結審後の12月13日、とうとう判決を見ることなく力尽き、無念の裡に生を終えている。

 被告が、長尾氏への賠償を回避するため展開した主張は以下の3点におよぶ。
(1)多発性骨髄腫と放射線被曝との間には因果関係はない。
(2)(仮に因果関係があるとしても)長尾氏の損害賠償請求権はすでに時効により消滅している。
(3)長尾氏の罹患している疾患は多発性骨髄腫ではない。
 被告東京電力は、「自分がこんな病気になってしまったのは、原発での放射線被曝が原因なのだから、原賠法に基づいて補償して欲しい」というたった1人の労働者の当然の要求に対し、正面から牙をむき、なりふり構わずにありとあらゆる手を使って徹底的に押しつぶそうとしてきたのである。
 注意すべきなのは、東京電力が、そうまでして長尾氏の請求を排斥しようとする目的は、決して請求を容れることによる経済的負担が問題なのではないという点である。長尾氏の請求を容れたところで、東京電力が負う経済的負担はたかだか数千万円に過ぎない。その程度の負担は、東京電力にとって何ほどのことでもないことは、容易に理解されよう。それにも関わらず、長尾氏の請求を排斥するために、東京電力がこの裁判におそらくすでに1000万円を超えようかという費用(被告弁護団に支払った費用。次項で述べる「権威」の医師に4度にわたって意見書を書かせるために支払った「鑑定費用」等)をかけているという事実は、問題が経済的負担にはないということを如実に示している。それは、長尾氏の請求を容れることによって、「原発は安全である」という東京電力の宣伝が根底から崩れることをなんとしても回避したいということにほかならない。

多発性骨髄腫否定論の見苦しさ

 3年有余にわたる裁判のうち、ほぼ半分に相当する1年半の審理は、被告が多発性骨髄腫の権威であるとする清水一之医師に作成させた4度にわたる「意見書」によって展開した「長尾氏の疾病は多発性骨髄腫ではない」とする主張をめぐっての論争のために費やされている。
 だが、その「権威」であるはずの清水氏の意見は、驚くほどの詭弁・強弁・前後矛盾に満ちている。
 長尾氏が多発性骨髄腫に罹患している事実は、長尾氏をその発病の当初から診療してきた兵庫医科大や千船病院の医師らによって確認され、労基署の労災認定も、長尾氏が多発性骨髄腫に罹患していることを前提として業務上認定している。ところが、この動かしがたい事実に対して清水医師と被告はドンキホーテ的な「闘い」を挑んでいるのである。いささか専門医学的な議論にはなるが、被告東電がいかに犯罪的な訴訟活動を展開したかを理解していただくため、紙数の関係で被告の主張の一端を以下に紹介したい。
 多発性骨髄腫の診断については、03年に国際骨髄腫作業グループ(IMWG)によりその統一的診断基準(IMWG診断基準)が策定されている。それによれば、多発性骨髄腫の診断基準は、以下の3つが満たされた時とされる。
1)血中あるいは尿中のM蛋白の存在
2)骨髄中のクローン性形質細胞増加あるいは形質細胞腫の存在
3)骨病変を含む臓器障害の存在
 ところで、清水氏は、このIMWGに参加したメンバーとして新たに策定された診断基準を日本に紹介する論文等を多数執筆している。そうした論文の中で、清水氏は新しい診断基準では、「過去の診断基準にあるクラス別のM蛋白や骨髄形質細胞比率といった複雑な数量基準を省略したこと」が特徴の一つであると指摘し、その理由は、M蛋白の量や形質細胞の比率がいくらであるかということは、患者の予後とあまり関係がないことおよびそうした数量的基準を持ち込むと診断に混乱が生じることにあると述べている。
 つまり、M蛋白の数量や形質細胞の比率を多発性骨髄腫であるのか、それともその類縁疾患であるのかを鑑別する基準としていた古い診断基準は、医学的根拠もなく、いたずらに診断を混乱させるから、新しい基準では、そうした数量を問題とすることはやめ、(M蛋白や形質細胞の)存在が確認されるだけで十分であるとしたというのである。
 ところが、清水氏は、被告東京電力に依頼されて作成した「意見書」では、「長尾氏の形質細胞比率は10%を超えたことが無い」ことを理由に長尾氏の疾患は多発性骨髄腫ではないと主張しているのである。ここで清水氏は、IMWG診断基準が策定される前にあった1977年のSWOG(Southwest Oncology Group)の診断基準では、形質細胞比率が10%以上とされていたことを持ち出しているのである。IMWG診断基準を紹介する際に、古い診断基準(それには当然SWOGの診断基準も含まれる)で形質細胞比率の数量を問題とするのは、いたずらに診断を混乱させるだけであると言っておきながら、その自らの言葉に背いて、長尾氏が多発性骨髄腫ではないと主張するために、古い診断基準を持ち出して、形質細胞比率を問題としているのである。してみると、清水氏は、自分の意見が「診断を混乱させる」たぐいのものであることを重々承知しながら、そのような主張をしていると言わざるを得ない。それは、「権威」をよりどころに長尾氏の多発性骨髄腫の診断が正しいのかどうか裁判所を混乱させようとしているとしか思えない。
 さらに清水氏のM蛋白についての主張は、もっと奇妙なものである。氏は、長尾氏の疾患は多発性骨髄腫ではなく、孤立性形質細胞腫であると主張する。しかし、IMWGの診断基準によれば、孤立性形質細胞腫は、M蛋白は検出しないか、検出しても微量(少量)であるとされているのに対し、長尾氏のM蛋白は、3000?4000mg/dlが検出されていて、この事実は明らかに孤立性形質細胞腫とすることとの間に超えがたい矛盾を呈している。そこで、清水氏は、この矛盾を湖塗するために2つの奇妙な主張を展開している。1つは、長尾氏から一貫してM蛋白が検出されるのは、長尾氏が孤立性形質細胞腫の他にmonoclonal gammopathy of undetermined significance(MGUS)にも罹患しているからであるという主張であり、もう1つは、5000mg/dl以下は少量であるとする主張である。
 まず、この1つ目の主張のごまかしを見ておこう。MGUSは多発性骨髄腫の類縁疾患の一つであり、IMWG診断基準では、MGUSと多発性骨髄腫との鑑別の重要な基準の一つとして「臓器障害(溶骨病変を含む)がないこと」となっている。そうすると、現に4箇所(清水氏が意見書を書いた時点では3箇所)の溶骨病変が存在するという事実は、これをMGUSとすることとは明らかに矛盾することになる。つまり、孤立性形質細胞腫と主張するとM蛋白が検出されていることと矛盾し、MGUSと主張すると溶骨病変が存在することと矛盾するのであるが、これを清水氏は、前者の矛盾はMGUSに同時に罹患しているからとして湖塗し、後者の矛盾は、孤立性形質細胞腫による溶骨病変であるとして強弁することで湖塗しようとしているのである。だが、このようなご都合主義的な診断基準の使い分けは、IMWGの診断基準そのものの存在意義を完全に否定するものである。なぜなら、IMWGの診断基準は、個々の患者(症例)について、MGUS、孤立性形質細胞腫、多発性骨髄腫等のどれにあたるものであるかを鑑別することを目的とするものである。清水氏のような主張が認められるなら、鑑別は事実上不可能となり、症状の中から都合のよい部分だけを取り出し、不都合な部分を無視することによって、「この患者は、MGUSでもあり」、同時に「孤立性形質細胞腫でもあり」、さらに同時に「多発性骨髄腫でもある」と言うことも可能になってしまうからである。
 次に2つ目の主張のごまかしを見る。IMWGの診断基準にはMGUSは「血清中M蛋白<3g/dl」とあり、SMM(多発性骨髄腫の類縁疾患の一つの無症候性=くすぶり型骨髄腫)は「血清中M蛋白≧3g/dl」と定められている。つまり、M蛋白量が3g未満であるか以上であるかということによって、MGUSとSMMが鑑別されているのである。多発性骨髄腫とその類縁疾患を鑑別するための統一的診断基準の中に一方に「3g/dl未満」と「以上」に重要な意味を持たせる数値基準が記され、他方で、孤立性形質細胞腫について「M蛋白は検出されないか、検出されても微量(少量)」との表現が記されているということからの論理必然的な理解は、「微量(少量)」というのは3g/dlよりさらに少ない量を意味するということでしかありえない。ところが、清水氏は、この「微量(少量)」の意味を5000mg/dl以下はすべて少量であると言うのである。これはもう暴論というしかない。
 清水氏の意見に見られる詭弁や強弁あるいはごまかしは、これらに限られないが、以上に述べたところを見るだけでも、いかにそれが信じられないほど非科学的なものであるか理解できよう。

訴訟経過が示した東電の本質と長尾氏の無念

 被告東京電力は、原告から清水氏の意見の矛盾やごまかしを指摘されると結局4度にもわたって、清水氏に意見書を作成させて、何がなんでも、長尾氏が多発性骨髄腫であることを否定し、そうすることで、原告の請求を排斥しようとした。
 冒頭でも述べたように、被告が、こうまでしてこの裁判で長尾氏の主張を争ったのは、決してその請求を認めることによる経済的負担が問題なのではない。
 長尾氏は、原子力発電所での作業に従事するにあたって、被告東京電力の担当者から、繰り返しその安全性を強調されている。だが、実際に長尾氏が従事した作業は、高温の蒸気が充満し、40℃近い温度の中で炉心の格納容器付近の配管工事に従事するなど、想像をはるかに超えて厳しく劣悪なものであった。長尾氏は、そうした劣悪な作業環境の中、配管工としての誇りにかけて、懸命に作業に従事してきた。目に見えない放射線の恐怖におびえながらも、東電の言葉を信じて働き抜いた。その代償が、多発性骨髄腫の罹患とその病魔との闘いであった。言い換えれば、被告が繰り返してきた「安全性」の宣伝のうその結果が、長尾氏の悲劇なのである。
 だからこそ、被告は、なんとしても、長尾氏が多発性骨髄腫であることを否定し、原子力発電所での作業と長尾氏の疾病との関係を否定しようとしたのである。そこには、原子力発電の安全神話を守るためには、1人の労働者の生命の価値などいっさい顧みようとしない国策企業の本質が鋭く露呈されている。被告東京電力とその意を汲んだ「権威」という医師によってしかけられた無意味で愚劣な論争のために裁判の決着が引き延ばされたことによって、長尾氏はあれほど望んでいた判決を見ることができないまま、無念を飲んでその人生を終えた。我々は、このような犯罪を決して許してはならない。

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東電を告発する長尾裁判判決
5月23日(金) 午後1時10分から
東京地裁527法廷
日程が変更されましたのでご注意ください

東電を告発する長尾裁判判決 報告集会
18:00?
全水道会館会議室
www.zensuido.or.jp/kaikan/kaikan.htm
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長尾光明さんがお亡くなりになりました

 たいへん残念なお知らせをしなければなりません。さる12月13日午後6時55分に、原告の長尾光明さんがお亡くなりになりました。享年82歳でした。息子さんは、「親父は判決を本当に楽しみにしていたのです。聞かせてやりたかった」と無念そうに話され、光明さんの遺志を受け継ぐことを決意されています。裁判上の手続きなどのため、お知らせが遅れたことをお詫び致します。
(東京電力を告発する長尾裁判を支援する会)

 12月7日の裁判結審に、長尾さんは以下のような最終意見陳述書を提出されました。

2007年12月7日
最終意見陳述書

東京地方裁判所 御中
長尾光明

1.私は、1977年10月から1982年1月まで、東京電力福島第一原子力発電所等において配管工事に従事し、大量の放射線被曝を受けました。1998年に第3頚椎と左鎖骨の2ヵ所に病的骨折が見つかり、多発性骨髄腫との確定診断を受けました。それ以後、抗がん剤などの治療を受け、身体のしびれ、耳鳴り、頭痛などに苦しみながらも、小康状態を保ってきました。ところが、今年の10月頃から右鎖骨辺りにも痛みが出てきました。調べてもらったところ、左鎖骨のときと同じように骨が溶け、骨髄腫ができていると聞きました。

2.私の多発性骨髄腫の原因は当時の放射線被曝にあります。
 千船病院の高橋哲也先生や兵庫医大の専門医に診てもらい、私が多発性骨髄腫であることがわかりました。阪南中央病院の村田三郎先生にも診てもらって、放射線被曝が原因であることを証明してもらいました。国においても、私が多発性骨髄腫にかかっていて、放射線被曝が原因であることが認定され、労災として認められています。

3.ところが、裁判では、東京電力がこれを不当に争い、清水一之医師がそのたくらみに手を貸し、私が多発性骨髄腫ではないと主張してきました。私を診察したこともない清水医師が私の病名を決め、はては外国の医師の威を借りてまでして、東京電力の責任回避のために協力したことは、病に苦しむ患者を助けるべき医師として失格だと思います。清水医師にそのような協力をさせた東京電力については、もっと許すことができません。
 私が働いていた当時に、アルファ核種という放射性物質が大量に放出されていたことを後で知りました。東京電力は長い間そうした事実を隠してきましたし、いまだに認めようとはしません。裁判における東電の姿勢は、自分たちに都合の悪いものは事実をまげてでも隠そうとするもので、情報隠しとまったく同じものだと思います。

4.原子力発電所での仕事は本当に苦しいものでしたが、私は精一杯働いてきました。その結果が、多発性骨髄腫です。もし原発で働くことがなかったら、今のような苦しみを背負うこともなかったと思うと、本当にくやしくてなりません。
 私は現在、病床にあって、法廷で意見を述べることはできませんが、裁判官におかれましては、日本の原子力発電所の暗闇を照らすような判決を下されることを切に願います。