ほのかな光を望みつつ、福島原発事故から3年

ほのかな光を望みつつ、福島原発事故から3年

 

原子力資料情報室・共同代表
山口幸夫

 

 福島第一原発事故から満三年を迎える。
 だが、放射能に苦しむ福島の人たち、避難している14万人の人たちがおかれた状態はまったく改善されていない。この人たちに、いつ、春というべきものが来るだろう。
 野と山が見渡すかぎりの花と緑におおわれる季節がおとずれようとも、自然の奥底にひそむ見えない恐怖が沈黙の春をおもわせる。

 事故現場で、いくつかの課題について作業が進みはじめた。 事故の全容はいぜんとして明らかにならない。分からないことだらけだ。見落としていた困難の発見は相次ぐ。それでも、事故原因の解明のために、どこがどのように困難なのか、いくつかは判ってきたところもある。
 甲状腺がんと認定された人数が、調査が進むにつれて増えている。それが、はたして原発事故のせいなのか、科学のあいまいさによって、明言することができない。しかし、原発事故のせいではない、と言うことはまちがいである。事故によると見なして対応しないといけない。
 じかに被害を受けなかった人びと、また、被害はなかったと信じたい人々のなかには、フクシマを忘れてしまいたい、原発再稼動もやむなし、とする雰囲気がうかがわれるようになった。しかし、原発のない社会への動きは、もはや止めることはできない。じっさいに、すでに半年、日本では原発ゼロが続いている。
 3・11東日本大震災で、「オトモダチ作戦」に従事した米艦船の乗組員らが福島原発からの放射能で被ばくしたことはよく知られている。ほぼ3年して、当時の乗組員79人が、この2月、東京電力相手に約1千億円の賠償を要求する集団訴訟を起こした。

 4号機の使用済み燃料プールから、地上のプールへの移送が13年11月から始まった。東京電力は全1,535体の燃料体の取り出し、移送を14年いっぱいに完了する予定だという。3月9日現在で、462体の移送がおこなわれた。プールの中には、事故以前から3体の破損した燃料が入っていたが、これらをどうやって取り出すことができるか、困難な作業がある。
 放射能汚染水という難問が13年7月から、にわかに顕在化した。これも福島原発事故の収束を困難にしているひとつだ。2011年4月はじめに、2号機の取水口から大量の放射能汚染水が海に流出したことが明らかになった。当時の民主党政権は対策を講じようとしたが、東京電力は言を左右にしてこれを怠った。
 1号機から3号機の溶け落ちたウラン燃料を冷やし続けるために、400トンの冷却水を原子炉へ注入しているが、さらに、1日あたり400トンの地下水が原子炉建屋などにあらたに流入しており、放射能汚染水の量を増やしている。地上のタンクへ汲み入れているが、やがてタンクが不足してくる。すでにタンクの劣化によって汚染水漏れも起きている。
 土壌の汚染の様子が全くわからないと言ってよい。いちじるしく汚染されていることは確かだ。この2月に、2号機の海側の深さ16メートルの観測井戸から13万ベクレル/kgという過去最高濃度のセシウム(134+137)が検出された。だが、この値でとどまる保証はない。海への浸出は避けられない。ベータ線核種による汚染状況は情報がない。
 タンクの中にはストロンチウムなどベータ線を放出する核種がある。どのような核種がどれだけ入っているか、はっきりしていない。1月9日に、ベータ線がひきおこした制動放射*による無視できない強さのエックス線がタンクの外で検出されていることが明らかになった。作業員の被ばくは避けられない。
 建屋の地下の放射能汚染水が海へ流れ出ないように氷の壁をつくる作業が1月末から始まった。3月下旬までに凍結管を土中に打ち込むという。大規模な実験工事である。うまくいくという保証はない。

 原子力規制委員会は、国会事故調委員からいっさいの意見聴取をせずに、福島第一原発の事故原因は津波によるとの見解をまとめつつあるという。
 現在ただひとつ、新潟県の技術委員会が福島第一原発事故の検証を続けている。柏崎刈羽原発再開議論はそれからだ、というのが新潟県の考えである。国会事故調委員だった田中三彦さん、協力調査員だった伊東良徳さんらの津波主因説否定の主張は事故の真実をあきらかにするのではないかと期待される。

*制動放射とは、高速で運動している電荷をもった粒子が、原子核の電気的な引力によってブレーキをかけられて 止まったり、運動の方向を変えられるとき、粒子から失われたエネルギーが電磁波として放射される現象のこと。