原子力長計策定会議への意見と提案(第3回-追加)

長計策定会議第3回会議への意見と提案(追加)

2004年7月16日
原子力資料情報室
共同代表 伴英幸

1.制度・措置小委員会のパブリックコメント強行される

 第2回策定会議で、パブリックコメントの中止を求めたのに対して、近藤委員長から「原子力委員会がこうして多くの傍聴人の方に御臨席いただきながら、公開でこのような議論をしていると言うことを十分関係者が理解していると思っていまして… 私自身は我々がこの問題について真摯に議論をしているところ、私どもの問題意識が伝わるに違いないと確信するところ…」とのご返答をいただきましたが、残念ながら、パブリックコメントは強行されてしまいました。
 これまでの再処理政策が再検討され見直されようとしている時に、従前の再処理政策を前提とした制度・措置が作られていくことは主客転倒であり、矛盾と疑問を感じています。このかん明らかになった資料により制度・措置検討の基礎となったコストにも電力会社の姿勢にも改めて疑問が提起されています。佐々木委員が第1回会議で「苦言」を呈していらっしゃいますように、本来、長計策定会議が先行して議論しておくべきことでした。今、その議論が始まったのですから、制度・措置の整備は長計の議論の結果を待ってもなんら矛盾するものではなく、むしろ妥当なことです。
 本策定会議においてそうした議論が行なわれていることを「伝わるに違いない」ではなく、明確に伝えていただきますように、近藤委員長にお願いいたします。

2.小委員会もしくはワーキンググループでの検討について

 今後、小委員会もしくはワーキンググループが設置されますが、この位置づけと作業内容は明確にされる必要があると考えます。本策定会議に原子力委員の方々含めて参加されて進めようとしている現在のあり方からすれば、本策定会議で議論を進めるのが本来であるので、小委員会もしくはワーキンググループの作業内容は、核燃料サイクルコストの比較データの提供に限定するべきだと考えます。
 さらに、同小委員会に諮る前に、本策定会議で明らかになった過去のコスト試算の諸条件を明確に説明していただき、その上で、これから試算するべき諸条件について、山地委員の提案にもありますように、何と何を、どのように比べるのか、本策定会議で議論したうえで、同小委員会に諮るべきものと考えます。
 また、同小委員会は当然ながら公開で行なわれるべきものと考えます。その人選については、前回策定会議で近藤委員長から「多面的に適切と思える委員を提案し、了解を得ながら進め、一方的に押し付けることはしない」とおっしゃったことを評価いたしますが、過去の情報隠しを行なった当事者による評価では客観性に欠けると考えられますので、重ねて配慮お願いします。たとえば米国などでは、こうした技術評価の際に、審議に参加する専門家の「バイアスチェック」を行ない、バイアスが適度にバランス良く広がるように選定していると聞きます。したがって、私の意見は、ワーキンググループの人選で単に賛成・中立・見直しで公募するという提案をしたのではなく、一定の専門性を前提としつつ、バイアスが適度にバランスよく広がるような人選をするべきであるとの意味合いでした。その際、以下の方々を推薦したいと考えます(ただしご本人の了解は得ておりません)。八田達夫氏、山地憲治氏、浅岡美恵氏、飯田哲也氏、先にも述べましたが、日弁連公害対策環境保全委員会から1名、以上の方々を考慮してくださるようにお願いします。また、私も加えていただくことを希望します。

3.第2回策定会議での各委員からのご発言に対する私の意見

・秘密文書の問題が原子力長計策定会議の外の問題というご意見に対して

 「秘密文書の問題が原子力長計策定会議の外の問題」とのご意見がありましたが、吉岡委員からも指摘されたとおり、核燃料サイクルの路線選択問題は今回の長計策定会議の重要な主題の一つであり、しかも1994年当時に通産省や原子力委員会で行われた議論の上に今日の現状があることを考えると、「外の問題」どころか、今日の問題に直結していると考えます。したがって、当時のすべての議論を検証することは、今回の長計策定会議に必須の前提条件となるものと考えます。
 さらに、安井正也前原子力政策課長をはじめ、電力会社委員も含めて、関係した人間が重なっていたにもかかわらず、今日、核燃料サイクルの路線選択問題が重要になりながら意図的に虚偽答弁をしたという事実も、本策定会議の前提条件や今後の人選に関わる重要な要素であると考えます。

・核燃料サイクルを一般のリサイクルと混同したご意見に対して

 核燃料サイクルを一般のリサイクルと混同したご意見がありましたが、そもそも循環型社会の精神は、ゴミはまず発生抑制する、そうできないものは再利用、再生利用、熱回収し、最後に処分するというもので、再処理・核燃料サイクルは、循環型社会の精神に反するものではないでしょうか。プルトニウムだけに着目して「リサイクル」と混同した議論は、一般社会に誤ったイメージを流す歪曲した議論だと考えます。
 いうまでもなく、プルトニウムに関しては、一般のリサイクルの次元で議論すべきものではなく、核拡散を筆頭に放射能毒性などはるかに機微な問題として取り扱うべきものであると考えます。

・直接処分がアメリカの「使い捨て文化」とのご意見に対して(神田委員)

上述のご意見とも重なりますが、再処理・核燃料サイクルを「リサイクル」、直接処分を「使い捨て」と言い換えることでイメージ操作を図ろうとするような議論は、本策定会議にはなじまないと考えます。加えて、直接処分は、アメリカだけでなく、スウェーデン、ドイツなど原子力を持つほとんどの国々の選択になりつつあるという事実がありますので、「アメリカ流の使い捨て文化」といった表現は、2重に間違っていると思われます。

・直接処分の候補地を見つけることが困難とのご意見に対して

 直接処分の候補地を見つけることが困難とのご意見がありましたが、これは高レベルガラス固化体にもまったく同じことが当てはまります。仮に地下処分場の広さを意図して「困難」と考えられているのであれば、中間貯蔵期間を少し長くすれば同じ発熱量になります。他方、その考え方からすれば、再処理・核燃料サイクルで発生するMOX使用済み燃料はウラン燃料の使用済み燃料の倍の規模の発熱量となり、いっそう広大な処分場が必要となります。
いずれにしても、核廃棄物の最終処分場は、人類が直面する社会的な課題の中でも(技術的のみならず、社会的・政治的に見て)トップクラスの難問であることは、共通していると考えます。

・六ヶ所凍結および制度・措置へのパブリックコメントの取りやめが「無茶な議論」とのご意見に対して

 六ヶ所再処理工場の凍結および制度・措置へのパブリックコメントの取りやめが「無茶な議論」とのご意見がありましたが、これこそ「無茶な議論」ではないでしょうか。
 民主的な社会において、公共政策(ないしは公共政策に強く依存する民間事業)の前提が変わった場合には、いったんその公共政策や民間事業を凍結し、その時点での状況に応じて適切に見直すことは、当然の理であり、国民に対する当然の責務でもあります。それにもかかわらず強行する民間事業であれば、その民間事業者はすべてのコストと責任を自ら引き受けるべきであることは、当然であると考えます。

・ワーキンググループの委員選定に関し、技術的に感覚を共有できる人が優先というご意見に対して

 ワーキンググループの委員選定に関し、技術的に感覚を共有できる人が優先とのご意見がありましたが、これは技術の中立性という「神話」を信じている素朴な意見であると思われます。技術も専門家も「真空」の中に存在するのではなく、それぞれ社会的なバイアスの中に存在しますので、専門家のバイアスを抜きにしては、今日の技術論は不可能であると考えます。