2005/09/03

高木仁三郎メモリアル「市民科学のこれから」―フランク・フォン・ヒッペル教授を招いての講演と討論―(2005/9/3)

高木仁三郎メモリアル「市民科学のこれから」―フランク・フォン・ヒッペル教授を招いての講演と討論―

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2005.09.03 高木仁三郎メモリアル「市民科学のこれから」発行

2005年9月3日に行なわれた『高木仁三郎メモリアル「市民科学のこれから」』でのフランク・フォン・ヒッペル教授の講演とコメンテーターのスピーチの再録集が発行されました。ご希望の方は1部につき200円分の切手を同封のうえ当室までお申込みください。

※正会員・賛助会員の皆様には『原子力資料情報室通信』とともにお届けいたしました。
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2005年9月3日(土)[終]
カタログハウス・セミナーホール(東京・新宿)にて

高木仁三郎が、2000年10月に62才の生涯を終えてから、5年になろうとしています。
ご承知のように高木仁三郎は、原子力資料情報室を主宰し、脱原発社会実現のために全力を尽くしましたが、彼は市民の手による科学・技術の監視・評価システムの創造に力をそそぎ、核や原子力の問題にとどまらず、現代科学のあり方そのものを問い直し、平和で持続可能な地球をめざす、もうひとつの科学を模索してきました。
しかし、仁三郎の没後、21世紀の社会を見渡せば、日本国内のみならず、政治や行政、経済界のリーダーたちはますます論理性、合理性、倫理性を低下させ、好戦的になっているように思えてなりません。現実の世界は、平和で持続可能な社会とは正反対の方向へ向かい、非寛容、相互不信の監視社会、情報管理社会へと急速に向かいつつあるのではとの危惧はつのります。
今回、仁三郎とも親交が長く、Citizen Science(市民科学)を提唱し、実践してきたフランク・フォン・ヒッペル教授を招き、講演と討論の集いを企画しました。
この集いが「市民科学とは何か」といった議論をこえ、この現実の社会状況のなかで、私たちが、どのような社会、どのような未来をめざすかを視野に入れ、「市民科学のこれから」を考え、深める端緒になればと願っております。たくさんの皆様のご参加をお待ちしております。

主催者の一人として
高木仁三郎市民科学基金 事務局長 高木 久仁子

講師
フランク・フォン・ヒッペル教授
アメリ力 プリンストン大学教授。
前ホワイトハウス科学技術政策局国家安全保障会議副議長。核・原子力政策の国際的な権威で、その発言は、米国内だけではなく国際的に大きな影響力を持つ。
“Citizen Scientist”(The American Institute of Physics,1991)の著者。

●日時
2005年9月3日(土)
14:00-17:00(開場 13:30)

●場所 カタログハウスセミナーホール
JR新宿駅南口より徒歩8分
(東京都渋谷区代々木2-12-2)

●参加費
無料・・・・会場でのカンパにご協力いただければ幸いです

●申込み
お名前とご連絡先を明記の上、下記までお申し込み下さい。
・・・・当日参加も可能ですが、極力事前のお申し込みをお願いします。

●共催
原子力資料情報室・高木学校・高木仁三郎市民科学基金

●申込み・問合わせ先
高木仁三郎市民科学基金 
E-mail info@takagifund.org
Fax 020-4665-3293
Tel 090-3435-9513(菅波)

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高木仁三郎 5周年メモリアル (2005・9・3)於:カタログハウス

マンハッタン計画,ジェイソン局から原子力資料情報室へ

山口 幸夫(原子力資料情報室)

I.マンハッタン計画と科学者

 科学を学び、科学者への道を志す者にとっては、マンハッタン計画に参加した科学者たちの心情をどのように自分自身のなかに納得させるか、あるいは、納得させることが出来ないかは、避けて通ることができない問題として在る。
 発見されたばかりの核分裂という現象は、知的好奇心にみちた科学者たちの絶好の研究対象であった。イデオロギー、国家、軍事、名誉などが複雑にからまりあっていた中で、研究費をまったく気にする必要がなく、科学者たちは原子爆弾を創りだす道をひたはしりに走った。このマンハッタン計画がヒロシマ・ナガサキを生み、第二次世界大戦後の米ソの核軍拡競争をもたらした。
 科学者のトップとして原爆製造を指導したオッペンハイマーは、戦後、こう語った。

 「自分のつくったものが少し心配になってきた。しかし、自分の発見を世界がどう利用するかを恐れて、進歩を止めることは科学者にはできない」(1945年)。
 「物理学者たちは罪を知ってしまった。しかも、それはもはや失うことのできない知識である」(1947年)。

 これは科学者としての正直な気持であり、ヒロシマ・ナガサキの人々への弁明でもあったとおもわれる。
 しかし、平和に暮らしたいとねがう市民は、この言葉に科学への不信の念をいだかないわけにはいかない。いざとなったら科学者は何をやりだすか分からない。とくに、国家と一体になった科学者集団はおそろしい。科学にたいする恐怖と言ってもいいこの気持を避けることができない。

II.ジェイソン局の科学者

 ジェイソン局は、1959年にできた米国防総省おかかえの民間のシンクタンク「国防分析研究所」の一部局である。1971年、「米国防総省秘密報告書」が明らかにされ、ジェイソン局に所属した科学者たちが米国のベトナム戦争遂行政策におおきな影響をあたえたことが暴露された。
 ジェイソナイトによる「電子戦争」、「自動化戦場」の提案は、音響感知器、グラベル地雷、クラスター爆弾、スマート爆弾などの兵器の開発・改良をうながした。ベトナムにおける大量殺戮はジェイソン局の技術システムによってもたらされた。
 マンハッタン計画にもジェイソン局にも、ノーベル賞を贈られた高名な科学者やそれと同等な科学者たちが大勢参加している。彼らはいずれも真理探求を職業とし、世にみとめられたアカデミーのメンバーである。そして、国家が遂行する戦争政策に重大な影響をあたえたのだ。
 こういった反民衆の科学、技術は、科学者、技術者の個人的な倫理の問題だろうか。そうではなく、それを超えて、アカデミーが受容・認知し、評価するシステムの知の体系そのものにあるのではないか。
 20世紀の歴史を戦争と科学、技術の関係をとおして見てくるとき、さてそうだとすると、汝自身はどうするのか、と内面の声に耳を傾けざるをえなくなる。

III.原子力資料情報室

 1974年、高木仁三郎さんはこのような認識のもとに、「個的なレベルを越えるものとして、新たな実践の方向性を提起しなければならない」と書いた。
 原子力資料情報室の発足はその翌年だった。フォン・ヒッペルさんは高木さんが直面した厄介な事例のひとつを話されたし、2000年10月に死去するまでの高木さんの活動はよく知られているので、ここでは繰り返さない(タトエバ、『市民科学者トシテ生キル』、岩波新書、1999年)。
 高木さんのあとを引き継いだ原子力資料情報室は、脱原発の旗印のもとに、公衆にとって、必要な情報を的確にとらえてきたか、情報を正しく分析し、すばやく発信してきたか、その活動が国の政策決定に影響を及ぼし得たか、の3点において、自己評価し、同時に、公衆からの評価を受けなければならない。
 ここ数年、日本の原発をすすめる側はウランの臨界事故を起こし、原発の検査デ?タをかいざんし、応力腐食割れを隠し、配管破裂を防ぐことが出来ず、公衆の原発不信を増大させてきた。わたしたちは月刊の「原子力資料情報室通信」、隔月刊の「Nuke Info Tokyo」、公開研究会、ブックレット、書籍などを通して、公衆の立場から情報を発信してきた。
 2004年6月に始まった原子力委員会の「原子力の新しい長期計画策定会議」に、32人の委員の1人として当室の伴英幸共同代表が参加している。ただし、マンハッタン計画・ジェイソン局に参加した科学者とはまったく正反対の立場だ。国の原子力政策を公衆の立場に立って根本から批判し、政策の変更を求めるためである。今年7月までに31回の委員会がひらかれ、「原子力政策大綱(案)」が一月間の意見募集を終えたところである。残念ながら、六ヶ所再処理?もんじゅ、プルトニウム利用という政策を変えさせることは出来なかった。しかし、伴さんは、安全性、経済性、「平和利用」を明確な根拠をもってきびしく批判し、政策の提言をした。それが政策変更への一歩となり得るか否かは、今後にかかっている。

 さて、フォン・ヒッペルさんの言う市民科学、市民科学者という表現を当室のスタッフは使いたがらない。推察される理由の第一は、科学、科学者という言葉にうさんくささを感じている。科学者こそが核開発した、体制の保護のもとに体制と一体になって、分野を問わず、科学が公衆の生き方を左右してきた、と判断しているからだろう。第二に、科学の中心部分は人類が獲得してきた真理であることは疑い得ないとしても、科学の周辺領域ーそれは広大な領域だがーは、何が真で何が偽かきわめて曖昧であって、そこが技術と結びついて、公衆を支配する仕組みができている、と考えるからだろう。
 我が身をどこに置くかによって、周辺領域の解釈は幅を持つ。一例をあげよう。原発をおしすすめる立場に立つと、危ないデータには目をつむって、高経年化の対策はそれらしくつくることはできる。公衆の立場では、そのデータの危うさが気になる。予防原則を重視し、その原発の老朽化に打つ手は無いと判断する。老朽化した原発は閉鎖するしかなくなる。おなじデータを看ても結論は分かれるのである。
 身を保障された安全の高みには置かず、ふつうの公衆と同じレベルで生き、悩み、運動するところから科学、技術にたいする眼が鍛えられる。そのうえで、体制側の科学者、技術者の主張を論破する力が必要だ。高木さんやフォン・ヒッペルさんが言いたかった事は、そういうことではなかっただろうか。