オックスフォードリサーチグループ論文「日本の核武装と東アジアの核拡散」

オックスフォードリサーチグループ論文
「日本の核武装と東アジアの核拡散」

閲覧はこちらから

参考

フランク・バーナビー
ショーン・バーニー

2005年8月

目次
まえがき
はじめに
プルトニウムを求めて
余剰プルトニウムを持たない日本の政策
六ヶ所再処理工場の保障措置は不可能
核武装への政治的な動き
結論
参考文献

まえがき(古川路明)

 「日本が核武装する可能性」を論じたバーナビー、バーニー両氏の論文を興味深く読んだ。この論文のあらましを以下に示す。広い意味での原子力問題に関心をもつ多くの人達に読んで欲しいと思う。
 最初に、長崎への原爆投下に始まる60年間の歴史を手短に述べている。次に、日本がプルトニウムを確保しようとしてきた流れを追っている。ここで重要なのはアメリカとの関係である。日本が再処理をおこなうことをアメリカに認めさせるには、それなりの交渉の経過があった。続いて、青森県六ヶ所村にある再処理工場が運転に進もうとする動きについて論じている。ここで重要なのは、保証措置に関する問題と、分離されるプルトニウムの用途がほとんどないことである。前者については、国際原子力機関(「IAEA」)の査察が非常に有効ではないとの指摘が印象的である。工場に入ってくる使用済み核燃料の中に含まれているプルトニウムの量を知ることさえ厳密には難しい。後者との関係では、高速増殖炉が多数建設される状況にないこととプルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)を軽水炉の燃料とする「プルサーマル計画」が順調には進んでいないことが問題となる。これではプルトニウムの行き場はない。最後に、日本が核兵器をもつ可能性についての分析を記している。この問題は外交や国内政治と関係するデリケートなもので、人によって考え方はさまざまであろう。原子力に関する知識が深い外国の人がどう考えるかを知るために読んでもよいかも知れない。
 日本では、他の国の核兵器開発について述べる人はいるが、自国の核武装について語る人は多くはない。突き詰めて考えるのがつらい問題である。私は考えていないことはないが、国内の世論が急に片方に揺れ、国民が核兵器保有を容認するようになることを恐れている。この論文にも書いてある通り、国民の誰もが知っている状況で核兵器が開発された例はない。しかし、核武装の問題については、技術的な発想を超えていて、その分析は私の能力を超えている。広い分野の人々に考えて欲しい問題である。
 核エネルギーの大規模な放出が兵器の実現によってであったことは歴史が教えてくれる通りである。いわゆる大国では、すべてがそうであったはずだ。この影響は現在まで尾を引いている。
 プルトニウムについて触れたい。核兵器製造には、高濃縮ウランかプルトニウムが必要である。高濃縮ウランの製造は決して容易ではなく、爆弾を製造できるだけの量を得るには高度の技術と長い時間が必要で、60年前に広島に投下された原爆は高濃縮ウランを用いたものだったが、その製造は大変だったと伝えられている。それに比べると、プルトニウムの製造はやさしく、強烈な放射線を放出する使用済み核燃料を処理せねばならないが、このような化学分離は原理的にもわかりやすく、取り掛かりやすい。世界中にある核兵器の大部分はプルトニウムを含むものである。
 六ヶ所再処理工場は操業への道を歩んでいるが、重要な問題について議論されずにいるのが現状である。日本が再処理しなければならないとされる実際の理由は単純だと考えられる。電力会社は原発が設置されている地元には、「使用済み核燃料は県外に運び出す」と約束している。一方で、再処理工場のある青森県では再処理しない使用済み核燃料は、長期保管はしないことになっている。「使用済み核燃料はどこへ行く」という感じである。
 私は「長計」を傍聴したことがある。その席で高速増殖炉開発について議論された。開発を進めるような発言をするのは、「核燃料サイクル開発機構」の理事長、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」が設置されている福井県にある大学の学長、核燃料サイクルに関係があると思われる大学教授などであつた。二人の電力会社の社長は一言もいわなかった。彼らは高速増殖炉の開発に関わる気持ちをもっていないと想像できる。私は、MOXを軽水炉燃料とする「プルサーマル計画」を本気で進めたいと思っている電力会社はないと考えている。それを裏付ける資料は手に入りにくいが、事情を知っているすべての人がそのように考えていると思う。
 余剰のプルトニウムをどうすればよいのか?再処理は必要なのか?

古川路明
名古屋大学名誉教授
原子力資料情報室理事