NNAF報告:三陟と盈徳で地元の人たちと「原発反対!」の声をあげる

『原子力資料情報室通信』第455号(2012/5/1)より

第15回ノーニュークス・アジアフォーラムin韓国
新規原発予定地 三陟と盈徳で地元の人たちと「原発反対!」の声をあげる

 福島原発事故以降、世界各国で原子力政策の見直しの動きが活発だが、相変わらず市民の切実な声を無視し逆行する動きもさかんだ。韓国では3月18?23日釜山で環太平洋原子力会議、ソウルでは23日原子力産業サミット、26、27の両日は核安保サミットと原子力推進勢力の催しが目白押し。そんな状況の中、韓国のエネルギー正義行動らNGOが3月19日?24日、第15回ノーニュークス・アジアフォーラム(NNAF)を準備した。インドネシア、フィリピン、タイ、台湾、日本から30名が参加し、韓国のメンバーとともに各地の地域住民と行動し、交流した。

 核安保サミットを控えて、空港の雰囲気はピリピリしていた。韓国政府は理由を明らかにしないまま、日本から参加予定の1人の入国を拒否した。19日朝、ソウルの世宗(セジョン)文化会館前で開かれた記者会見では、大阪から参加した胡桃沢伸(くるみざわ しん)さんが韓国政府の入国拒否という弾圧に対して抗議することから始まり、核安保サミットの欺瞞性を訴えた。

 その後バスで、江原道(カンウォンド)の三陟(サムチョク)市へ。三陟は昨年12月、原発を運営する公営企業「韓国水力原子力」が慶尚北道(キョンサンフクド)の盈徳(ヨンドク)郡とともに新規建設地に選定した地である。町の一角には「原発反対!」の横断幕が掲げられ、公園で開かれていた住民やカトリックの神父さんたちの集会に参加した。

 福島県飯舘村から参加した酪農家の長谷川健一さんは、事故後すべての牛の処分を迫られたこと、8人家族がばらばらになってしまったことを語り、「放射能で故郷の山や農地を汚染された。このような思いをするのは福島で終わりにしたい」と訴えた。デモでは、約1500人の参加者の「原発、決死反対!」「市長のリコールを認めろ」などの声で盛り上がり、通りの人たちからも共感の声が沸きあがった。

 その後、教会で夕食をごちそうになり、夜の集会へと続いた。長谷川さんは写真を示しながら、「飯舘では村民みんなで協力して美しい村づくりをしていた。事故後、家族同然の牛を残して避難せざるを得なかった」と語り、畜殺される牛を見送る女性や絶望のあまり自殺してしまった仲間の遺書、牛舎で餓死した牛たちの場面では聴衆からため息が漏れた。

 フィリピンのエミリー・デラ・クルーズさんは、1984年に建設されたバターン原発の稼働を86年に阻止した経験を報告。阻止できた背景は、70年代半ばからのねばり強い闘いと市民への教育、80年代半ばマルコス政権末期において市民運動が高まったことなどを挙げた。原発建設が腐敗したマルコス政権の象徴として市民たちに認識され、3日間のゼネストなど強い反対運動で稼働をストップさせることができたという話に改めて感動した。三陟の人たちも大いに勇気づけられただろう。

 翌20日、三陟原発白紙化闘争委員会の李(イ)事務局長に、美しい海岸沿いの新規原発の建設予定地を案内してもらった。その後、バスで盈徳へ向かった。盈徳原発白紙化闘争委員会の李秉奐(イ・ビョンファン)委員長は「予定地は活断層地帯にある。原発は海の生態系を破壊する」と反対する姿勢を表明。福島県郡山市から参加した黒田節子さんが「韓国と日本、世界中の市民が力を合わせて原発を止めよう」とエールを送った。参加者は三陟に比べて少なかったが、盈徳ではこれまでに放射性廃棄物処分場など原子力関連施設の誘致を3回も跳ね返してきている。

 討論会では、黒田さんが福島県民が置かれている苦しい現状を訴えた。台湾の緑の党の芬蘭(ライ・フェンラン)さんは「台湾の反原発運動は民主化闘争との密接なかかわりの中で発展してきた。ドイツなどから再生可能エネルギー取り入れの政策面を学び、各国の緑の党と連携しながら運動を大きくしてきた」と発言。また、緑の党から立候補した経験のある台湾の潘翰聲(パン・ハンシェン)さんは「全国的な規模での支持率はそれほど高くはないが、放射性廃棄物処分場がある蘭嶼(ランユ)島では約36%の支持率で第2党となっている」と報告。その後、蘭嶼島出身の先住民である林詩嵐(リン・シラン)さんが「はじめは魚の缶詰工場ができると説明された。処分場では防護服を着用することもなく、窓も開けっ放しの状態で、放射性物質も放射線も外に出てしまう。きびしい作業規定がないためこのようなことが起こっている」と驚くべき実態を報告。また「処分場で働く70%が先住民で、先住民以外の労働者との賃金格差も大きい」と訴えた。

 21日、釜山に移動。18日から開催されている環太平洋原子力会議に対する抗議行動を行なった。午後から開かれた福島原発事故についての学習会で、私は、福島第一原発で働く労働者の実態について報告した。黒田さんと、福島から避難し福岡から参加した宇野さえ子さんは困難な被災者の現状について報告した。

 22日はソウルにもどり、西江大学での核安保サミットに対抗する国際会議に参加し、NNAFメンバーが多数発表した。

 23日、原子力産業サミットに抗議する記者会見に向かう途中、地下鉄通路を大勢の警察が塞いでしまった。私たちは急遽、横断幕とプラカードを掲げ「ノーモア、フクシマ!ノーニュークアジア!」を叫んだ。警察のいやがらせに動じず抗議する参加者はマスコミのフラッシュを浴び、通路での記者会見は盛り上がった。インドネシア、タイ、フィリピンなど原発輸出される国からの発言が相次いだ。午後には、NNAF参加者全体で共同声明をまとめ、次回の開催はインドネシアと決まった。

ノーニュークスアジアフォーラム2012(No Nukes Asia Forum 2012)共同声明文

 今回はじめてNNAFに参加し、各国のメンバーと行動をともにし、意見交換することで大きな刺激と感動を受け取った。これからの活動に活かし、志を共にする仲間たちとの連帯をさらに深めたいと思う。

(渡辺美紀子)

 

 

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