制御不能から希望へむかって

『原子力資料情報室通信』第451号(2012/1/1)より

制御不能から希望へむかって

原子力資料情報室・共同代表 山口幸夫

 2011年、私たちはかつて経験しなかった「原発震災」という大災害に見舞われた。多くの人たちが、まさかと思っていたことが現実に起こった。これまでなんとなく原発を容認してきた市民の中に、大きな変化が生じていることを私たちは実感する。

制御できないままで

 3・11福島第一原発崩壊の衝撃は、9ヵ月余り経た現在にいたってなお収まらない。農畜産物・林産物、海産物さらに粉ミルクにいたる食品の放射能汚染はいっそう深刻になっている。この間、政府のいくつもの委員会や会議を傍聴し、意見の発表や審議の様子を聴いていると、これまで原発を推進してきた人たちのほとんどに、反省らしきものが全く見られないことに驚く。しかも、制御できなくなった原発を抱えて四苦八苦している状態なのに、政府はロシア・ヨルダン・韓国・ベトナムの4ヵ国と原子力協力協定を結び、原発輸出の方針に一歩踏み出した。後始末の方法も確定せず、被害状況がどこまで拡大するか定かではない状況の中で、日本の原子力技術は優れているというのである。原発は制御できると考えているとしたら、なんとも不可解な話である。

 福島第一原発の原子炉は今後の見通しが依然としてあいまいである。圧力容器、格納容器、配管系などの破損の状況は不明だ。融け落ちたとされる燃料はどこに、どのような形であるのか、温度が何度くらいになっているのか。注入しているという水はどこに、どのように届いているのか。判らないことだらけである。そもそも、温度・水位・圧力などの測定系が健全かどうか疑わしい。

 放射能まみれの瓦礫の始末の方法もわからない、保管場所も決められない。大量の放射能汚染水をどうやって始末するのか。もし、原子炉や建屋などが爆発せず、これ以上の危機的状況が起こらなかったとしても、あの4基をどのように解体するのか、解体物をどこかへ運ぶのか、運ばないのか、いま原発のある場所はどのような姿になるのか。

 政府や東電自身による調査は進められているが、事故原因はいまだ明らかになっていない。12月初めには、国政調査権を持つ事故調査委員会が国会にできた。10人からなる委員の中に、石橋克彦さん、田中三彦さん、崎山比早子さんの名がある。この委員会が納得ゆく事故解明をするためには、多くの人々の協力と支援が必要となるだろう。求められるならば、当資料室も全面的な協力を惜しまない覚悟である。

子どもたちの不安

 除染という言葉がひんぱんに使われるが、いま問題になっているセシウム137は半減期が30.1年だから、なかなか消えてくれない。こう考えると、緊急に避難はしたが、元の地に帰ることができない人たちの数はどれほどになるだろうか。

 放射能汚染は時を経るにつれて大きく拡がり、食品汚染をどこまでがまんしなければならないのか、不安は底知れない深みへ向かっている。後になって、あの食品の汚染レベルは高かったと知らされると、不安感と行政にたいする不信感がいっそう増す。子どもたちも保護者も悩みと迷いのなかで日を送っている。

 福島に父を残して他県へ移住した子どもたちの声が聴こえる。「友だちをかえせ 自然をかえせ 森かえせ 家かえせ ふくしまかえせ」。また、ある福島の少女の「わたしは何歳まで生きられますか?」という問いに、私たちはどのように応えることができるだろうか。

 それにしても、いかなる組織や構造がこの事態を引き起こしたのか。その人たちは責任をどのようにとるのか、一向にはっきりしない。つきつめてゆけば、国側の責任者である原子力安全委員会と原子力委員会にゆきあたる。だが、かれらは事故前と同じ顔ぶれのまま、平然と振舞っている(ように見える)。原子力安全・保安院にも大きな責任がある。かれらは、4月から環境省にできる「原子力安全庁」のもとに移るとされている。同じ人間が横滑りするだけである。

 しかし、この半世紀にわたって原子力の守護神だった「原子力ムラ」の存在を許してきた私たち自身にも責任がないとは言えない。

明らかになったこと

 9ヵ月余りの経過のなかで、いくつかのことが明らかになってきた。一つめに、核分裂を「技術的に制御して核エネルギーを平和利用する」とうたった原発というシステムは、結局のところ、制御できないシステムであった。制御するには手に余るものだったのだ。現代科学技術の成果といわれた原発は、水で冷やすという昔ながらの方法に頼るしかなかった。

 もし、原発のすべてのパラメータを手中にしており、地震や津波に襲われても、リアルタイムでそれを検知し対応して安全に運転し続けることができるならば、それは「制御可能」だといえよう。しかし、未だに原発内部の状況は判明しないし、事故は終息していない。そのうえ、これから数十年、数百年もの長きにわたって影響を受け続けるというのでは、「原発は技術的に制御可能だ」などとは到底いえない。「安全を確保した上で」とか「安全を担保して」という文言は絵空事だということがはっきりしたのである。

 二つめに、想定したソフトシステムが想定通りには機能しないことが明らかになった。具体的にいうと、原発が今どうなっているか、情報の入手と判断と指示系統が混乱し続けた。東電、政府ともに、事故発生時からの適切な対応と情報発信ができなかった。そのために、避けることができたのに多数の住民が余分な被曝をしてしまった。原発の保守・管理・緊急時対応は不可能だということが判明したわけである。

 三つめに、「原子力ムラ」の構造と成員とがほぼ明らかになってきて、これを解体しなければならないとする世論が強くなった。

 放射能汚染の状況を測定し論文にしたのに発表を禁止されたり、放射能測定予算が急に止められたりという、政治的圧力があった。原発から撤退すると電力不足になり日本の産業はつぶれると公言する財界首脳がいる。原子力を保持しないと国際的な発言力が弱まるという国際政治学者がいる。あるいは堂々と、原発を持ち続けてきた我が国は潜在的な核兵器保有国である、この地位を捨てるわけにはいかないという政治家がいる。こういうことが明らかになった。なかば自嘲気味に、私も「原子力ムラ」の人間と見られていると言う元・原子力安全委員長は、「原子力ムラ」に対する強い批判を承知しているわけである。四つめに、放射能の恐ろしさを思い知らされた、もう原発をやめよう、という市民からの声が大きくなった。これは3・11以来、私たちが手分けして全国各地をまわり、人々に語りかけ、多くの人々の確かな声として聞いてきた実感である。

 指揮者の小澤征爾さんの次の言葉は多くの市民の声でもあると思う。「僕は、原発は地球を汚さないし安いし、人間が考えた素晴らしいものだと言われ、そう信じていた。それは、知らなかったわけです。前にも事故があったけどピンとこなくて、また起こるとは思っていなかった。要するに、本当に知らなかった」(2011.11.2、朝日新聞)。

政府の動き

 9月27日、3・11で停止していた原子力委員会の「原子力政策大綱会議」が再開し、10月3日、経産省の「総合資源エネルギー調査会基本問題委員会」が発足した。前者には批判派の学者が新たに参加して、議論が活性化した。後者は25人の委員のうち批判派が3分の1ほどだ。両方ともに当室の伴英幸・共同代表が委員になっている。その様子は、本誌で毎号報告されている。

 いっぽう原子力安全・保安院(以下、保安院)は9月から11月にかけて、5つの「意見聴取会」なるものを発足させた。①高経年化技術評価に関する意見聴取会、②発電用原子炉施設の安全性に関する総合的評価に係る意見聴取会(いわゆるストレステストについて)、③東電福島第一原発事故の技術的知見に関する意見聴取会、④地震・津波の解析結果の評価に関する意見聴取会、⑤建築物・構造に関する意見聴取会、である。

 ①に井野博満さん、②に井野さんと後藤政志さん、③に勝田忠広さんが批判派として参加している。ほか圧倒的多数の委員はこれまでの顔ぶれである。ちなみに、「意見聴取会」というのは、従来の審議会や委員会は信頼されなくなったので名を改めた、というのが保安院の言い分である。専門家から意見を聞いてそれをまとめるのは保安院であり、委員の間で議論し、審議するのではない、と言うのである。それなら、これまでより後退するではないか、というのが私の意見である。

 このような政府のやりかたを見ていると、政府は本気で原発の安全性をチェックしようというのではない、ほんの申しわけで批判派に参加を求めたとしか思われない。

原発のない社会へ

 科学技術が近代・現代社会の中で信頼を得てきたのは、あくまでも科学技術によってシステムは「制御可能」であり、豊かさと便利さを社会にもたらすとみなされてきたからである。だが、そうではないという現実は数えきれない。よく知られた足尾鉱毒事件、水俣病などをはじめ、公害、環境破壊はすべてそうだといってよい。『沈黙の春』(1962年)の中でレイチェル・カーソンは、生命への禍のもとは、人間が原子をいじってつくり出した放射能による汚染がまず第一であり、それにまさるとも劣らぬものとして化学物質を挙げてDDTなどの害を論じたのである。

 3・11によって、私たちはもう一度、高度科学技術社会というものが生命に底知れない脅威を与えることを知った。制御できなくなった原発を受け入れるのか、一日も早く原発から撤退するのか。ドイツ、イタリア、スイス、ベルギーは脱原発を決めた。 

 もはや、「原子力ムラ」の専門家や政府に、私たちの生命をあずけることはできない。市民・住民こそが、原発の是非を判断する時代になったのである。ひとりが周囲の人に声をかけ、輪を拡げ、議員に語り、地方の議会の意思を固める。9月26日、浜岡原発の永久停止を決議した静岡県牧之原市議会の例は全国の先駆けである。ストレステストに合格したと政府が判定しても、地元住民の同意、立地市町村の首長の同意、県知事の同意なしに原発の再開はない。国家の原子力政策を変えることはできるのだ。

 そのために、原子力資料情報室は志を共にする人たちと力をあわせて、これまで以上に情報の収集・分析・発信に取り組むつもりである。

 また、新しい年に、汚染された大地で農作物を作り続けることができるのか、本格的な調査・研究プロジェクトを開始する。読者はじめ多くのみなさまからのご協力、ご支援をお願いしたい。

 

 

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